モブ・アート | アウトライン

トルソ・トリオ、3つ組のトルソ ©notoyo.jp | ノトヨ | のとよ

「モブ」という概念をもとにしたアート(モブ・アートまたはモブアート)のコンセプトは、集団と個の関係や、目立たない存在がどのように空間や物語を形成し、またその背景に溶け込むかを探求するものとして構築できます。

モブの語源である英語の「mob」には「野次馬」「無秩序な大衆」「暴徒」などの意味があります。特に社会学や心理学でメンタリティと関連して扱われる場合には「理性的ではない人たち」「過激な人たち」という意味で用いられることもありますが、カタカナの和製の「モブ」は「過激」というニュアンスを含みません。ここでは、カタカナの和製の「モブ」を特徴として用いていますが、作品の表現性を狭める意図はありません。

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モブ・アート

モブ・アート(モブアート)は「モブ」の存在をメタ的に捉え、集団の中で失われる個人のアイデンティティや、対比によって浮かび上がる存在感、さらには成長の物語をアートとして表現することができる。

群衆(群像)の中の匿名性と個の希薄化
  • 「モブ」は群衆(群像)の中に埋没した個人の集合体であり、個々の存在が目立たず、全体として一つの集合体として機能する。
  • アートの視点では、群衆(群像)の一人ひとりは特定の意識や意味を持たないが、その無数の存在が大きな物語や空間の「背景」を形成する。
  • 作品内では、複数の同質的なキャラクターや形状が一面に並ぶことで、「個」が持つ意味が希薄化され、「群衆(群像)」としての匿名性が強調される。この視覚的な演出によって、鑑賞者は「目立たない存在」に対する意識を問い直すことになる。
対比の中での個の浮上
  • モブキャラクターが主要キャラクターを引き立てる役割を持つように、アートでは背景と主役の対比が重要なテーマとなる。
  • モブ的な存在が目立たない中で、わずかに異なる存在や強調された要素が浮かび上がることで、鑑賞者はその微細な違いに気づく。この対比は、物語の主役が背景の中でどのように際立つかを視覚的に示し、日常の中で見落とされる「目立たない存在」の重要性を再評価させる。
自己のモブ化と成長のテーマ
  • 自己のモブ化、つまり「自分をモブだと感じる」ことに対する共感が近年増えている。このテーマを反映したアート作品では、無数のモブ的キャラクターの中から、ある一人のキャラクターが徐々にその存在感を強め、成長し、群衆(群像)から脱却していくプロセスが描かれる。この視覚的成長の表現を通じて、鑑賞者は自分の「無名性」や「非特権的な立場」に共感し、その中でどのように自己を発見し、物語の中で重要な役割を果たすかを考えるようになる。
リアリティの強化(フィクションと現実の交錯)
  • モブキャラクターは、フィクションにおける日常や背景を形作る重要な存在だが、アートにおいても「モブ」は現実世界の縮図として機能する。
  • 街角にたたずむ人々や日常の中にいる無名の人々を象徴的に描くことで、作品が持つリアリティが強化される。
  • 群衆(群像)の存在が、都市の風景や社会の「見えない力」として働き、それを視覚的に具現化することで、鑑賞者に現実とフィクションの曖昧さや、私たちの社会における「群衆(群像)の役割」を問いかける。
メタフィクション的アプローチ(鑑賞者のモブ化)
  • アート作品が鑑賞者自身を「モブ」として捉える構造も考えられる。
  • 鑑賞者は、展示空間内で作品と対話する中で、他の鑑賞者と共に「群衆(群像)」の一部となり、鑑賞者自身の「無名性」が作品に反映される。例えば、インタラクティブな作品で、鑑賞者が自身の姿を無数のキャラクターの中に組み込まれるような仕掛けを施すことで、鑑賞者は自分自身がモブの一部であることに気づく。この体験は、個の存在意義や群衆(群像)との関わり方について考えさせる。
モノのモブ化
  • 現代では、モノ(道具)が効率性や多機能性を追求し、あらゆる用途に対応できることが評価されている。しかし、「モノのモブ化」はそのような潮流に反し、単一の用途すら満たさない、あるいはあえてその主要な役割を減少させた存在となる。
  • 「モブ化」されたモノ(道具)が持つ哲学的な意義を提示する。